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​サイエンスの文章で世界を改善する

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​いらっしゃいませ。

2022年にライター業を開業し、いろいろ実験中です。

総花的なホームページになってしまいましたが、

ゆっくりしていってください。

​あなたの生活をよくするヒントが見つかりますように。

サービス一覧

1

【松】1文字1円セット

webニュース記事執筆、ブログ記事執筆代行、ホームぺージコラム執筆など文献調査を含みます。

2

【竹】レポート記事納品セット

取材や写真撮影も行います。もちろん文献調査込み。1本2万から。

3

【梅】おまかせセット

どのような方法でも(法に反しない程度で)とり、必ずご満足いただける記事を納品します。1本15万から。

柏木の物語

柏木について

柏木は会社員生活の傍ら文章を書きつづけてきました。

2021年に兼業可の会社に転職したことを契機に、本格的に文章を執筆し始め、

2022年8月22日に個人事業主として開業しました。

柏木はASD(自閉症スペクトラム)当事者です。得意なことと、苦手なことの差が激しいです。

ですが、得意なこと(文章執筆)で少しでも世界をよくできるのではないか?

強みを活かし合う、弱みは補い合う。そういった社会を、私たちでつくれるのではないか。

​そんな思いを抱きつつ、柏木は今日も文章を紡いでいます。

​柏木の好きな言葉たち

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

「迷って初めて、私たちは自分自身を理解し始める」

​まずは、イメージをふくらませましょう。

​短歌 Ⅰ

 

「言の葉の起源探りて逡巡す歌と叫びにより始まりしか」

(水護玲於奈『激情少年』)

過去に「水護玲於奈」名義で出版した短歌作品集から引用しました。

神経心理学者・山鳥重先生の文献からインスピレーションを得たのを記憶しています。

書名は失念しましたが、鳥の歌のパタンをもとに

ヒトが用いる言語の起源に迫ろうとする、かなり生物学的な内容だったと思います。

〝鳥の歌〟が方法論として用いられていることからもわかるとおり、

言葉とはもともとは生命の保持に迫られて、あるいは番を得るために、

身体から嗚咽のように洩らされた

​〝叫び〟だったのではないか、というのが私の解釈です。

​短歌 Ⅱ

「風すさぶ国は彼の人〝国葬〟す命貴賤あり蝉時雨降る」

​短歌は〝風刺〟にも使われるそうなので、一首詠んでみました。

過去にTwitterに投稿したものです(すでに削除済み)。

部屋にテレビもなく、新聞も講読していない柏木は

時折ネットニュースを垣間見るくらいでしか世相を知るすべがないのですが。

 

私たちが納めたはずの税金が、おかしなことに使われています。

​『新世界 5th』(長野まゆみ)

 

「もう二度とこの躰を、医療局に使わせたりしない。」

中学生という多感な時期に、

図書室で遭遇した長野まゆみ先生の『新世界』シリーズ。

先生の透徹した文章をもって、徹底した客観性で少年たちの戦いが描かれます。

上記の言葉は、これまでおとな達に従属するしかなかったシュイが

初めて自我に目醒め、静謐な決意により語った独白です。

このような美少年と同列で語ることに気恥ずかしさもありますが、

いい歳でありながらいまだ成熟しきれていない

​柏木の琴線に触れつづけています。

​短歌 Ⅲ

 

「ビル空と繋がる夜の歩道橋窓の灯りは希望の煌めき」

灯りのもとにはすべからく人がいるのだと思うと、

どことなくしみじみとした気分になります。

​電気代のことを考える現実的な人もいると思いますが。

この世界にはいまだ、あらゆる課題が山積していますが、

灯りが〝希望〟を直截的に表現しているかのように

柏木には見えてしまいます。

先行きは長いです。

「人は生きてきたように死んでゆく」といった格言がありますが、

この〝灯り〟がいまの柏木を支えてくれるとともに、

人生をかけて〝灯り〟をいくつか点けて、のちに繋ぐことができたら。

そんなとりとめもないことを考えます。

​短歌 Ⅳ

​「降り注ぐ琥珀のごとき月見遣るゆらり影一つ千年の孤独」

​2022年11月8日、幻想的な月食が空に映し出されました。

​友人からのLINEでそれを知った私は、帰路の途中、

小道の傍らで茫然と空を見上げていました。

帰りがけスーパーで買い物したエコバッグを、左手にだらり提げ。

通りすがりの人は私を一瞥するも、当然すぐさま無関心へと戻ります。

いかにも不調法者な私ですが、染まってゆく琥珀の色味に

不覚にも酔いしれ、しばし耽溺していました。

家族とも絶縁し、生涯独身者をつらぬくであろう私を嘲笑うかのように

ゆらり影が一つ揺れます。

しかしその家族の上にも、私を苛んだ元彼たちの上にも、

特例子会社でのパワハラ上司にも、あるいは大切な友人たちにも。

心理師の先生にも、仕事相手にも、保健師の先生にも、主治医にも、

等しく、月は照らし出します。

私の好きな漫画の中で、主人公の少年は言いました。

「今、たまたまここに生きた全員は、

たとえ殺し合う程憎んでも、同じ時代を作った仲間な気がする。」

〝敵〟は、いないのかもしれない。25世紀の人間からすれば

(あるいは26世紀でも)、

われわれは等しく同じ、〝21世紀を生きる原始人諸君〟。

仲間同士いがみ合うことほど、不毛なことはないのかもしれない。

目的はなにか?

この世界を少しでもよくするために、われわれになにができるのか。

話をしましょう。書き、学び、働き、遊び。

話をして、また書く。学ぶ。働く。遊ぶ。

すべては、未来の子どもたちのために。

​同じ月を見上げた〝仲間〟として。

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