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王様の耳は……。

あなたは有名な寓話、『王様の耳はロバの耳』をご存知でしょうか。

 

以下にWikipediaからの引用を示します。

 

昔、立琴の神と笛の神がどっちの音が素晴らしいかで争っていた。その審査をした神たちは立琴の音が素晴らしかったと言ったが、王は「自分の耳には笛の音がよく響いた」と言う。そのことに怒った立琴の神は、王の耳をロバの耳に変えてしまい、このことに恥ずかしくなった王は頭巾を被って耳を隠すようになる。

 

だが、床屋に髪を切ってもらう事になった時、王の耳がロバの耳であることを知ってしまった床屋は、王に口止めをされた苦しさのために、森の中の葦のちかくに掘った穴の底に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ。数日後、穴を塞いだあとに生えた葦がその言葉を言うようになる。それを聞いた王は床屋が言いふらしたと思って激怒するが、床屋から事情を聞いて家来に調べさせた結果、葦が言っていることを知ると恥ずかしくなって床屋を釈放し、ロバの耳を晒して生きるようになった。

(Wikipediaより引用 閲覧日:2022年9月18日)

 

小学生のころに『王様の耳はロバの耳』を読んだ柏木ですが、率直に「いい王様だな」と思ったのを記憶しています。

王の権力をもってすれば、一度髪を切ってもらう度に理髪師を「殺してしまう」ということだって極端な話できたはずです。あるいは、シンプルに「自分で切る」という方法だってあったはず。ですが王はそれをせず、いつも同じ理髪師に切ってもらい、口止めしただけで城から帰してしまいます。

 

 

私はこの物語の根底に流れるテーマは、「事実を見る」と「信頼する」の2つであると考えています。

美容師/理髪師と客とのあいだに、しばしば半ば強固な(その場限りの)信頼関係が育まれがちなのは、おおむね同意してもらえると思います。

これは私の友人から聞いた話ですが、友人の通っているヘアサロンの別の客(男性、既婚者、子ども有)は、美容師の施術中に「自分はマッチングアプリを利用して『不倫』を続けている」「一度(性的な)目的を果たしたら、連絡手段をすべて〝ブロック〟して関係を切る」などといった話を暴露し続けるそうです。

 

個人名は明かさないとはいえそれを別の客である友人に話して聞かせるとは、守秘義務としてどうなのか、その男性客の倫理観はどうなっているのか、などの諸問題はいったんさておいて、この話を友人から聞いた際に真っ先に私が思い起こしたのは「王様の耳はロバの耳」です。

 

男性客は性的な欲求に押されて〝目的〟を果たし続けますが、そのいっぽうで心の奥底では、少しずつ焦げ付くような自責の念を感じていたのではないでしょうか。もし本当に男性客にとって不倫が日常の所作と同じくらい自然な作業であれば、わざわざ話題に上げようとは思わないはずです。「今朝歯磨きをしたんですよ」と美容師に話す客はいないからです。

 

配偶者や子どもに嘘をつき続けて、「まっとうな夫」と「不倫し続けるただの男」といった二面性の往来を続けることによって、自己が解離しかけていた可能性はあります。それらを繋ぎとめるために、美容師と客という気安い関係――ただしそうそうおおっぴらに触れ回られることもないだろう――そして髪を切って整えてもらう作業を通じてなんとなく信頼している――そのようなうってつけの人材に〝暴露〟してバランスをとっていた可能性はおおいにあります。

 

もうひとつの「事実を見る」点についてですが、この寓話では2つの事実が登場します。

 

・王様の耳が〝ロバの耳〟であることは、隠す/隠さないにかかわらず、まぎれもない「事実」であること。

・王様が当初推測した「床屋が言いふらした」は虚偽情報であり、「葦が言っている」ことが事実であること(しかも王様は床屋から事情を聞き、家来に調べさせるというエビデンスを取得する行いもしています。この点も私がいい王様と思った点です)。

 

 

ちなみに「王様の耳はロバの耳」のエンディングにはさまざまなパタンがあり、その中に「王様は『ロバの耳を隠さなくてよくなった』とせいせいし、床屋に褒美をとらせる」というものがあります。結局葦がしゃべったことが明白になったのかは寡聞にして知りませんが、究極の事実である「自身の耳がロバの耳である」という事象を白日の下にさらし、臆せず生きていく、ある種の「開き直り」が成功した事例であるといえます。

 

考えてみれば王の耳がロバだからといって、いったいそれのなにが悪いのでしょうか。

 

王の耳がロバの耳になった要因が、立琴の神に罰を与えられたというエピソードは国によって割愛されることも多いのですが、王の「笛の音がよく響いた気がする」(立琴の音が悪いとは言っていない)といった主観に〝罰〟を与えるといった経緯もよくわかりませんし、生まれつき王の耳がロバの耳であったならなおさら、それを王が恥じ入る理由などない(ロバの耳であるのは王が選択したことではないので)からです。

 

仮にタイトルどおり「王様の耳はロバの耳」などと揶揄する者がいるとして、人の身体的特徴をあからさまに罵るという行為は、あきらかに揶揄する側の人格に瑕疵があるとしか思えないからです。

 

いずれにせよ、頭巾を外しロバの耳という〝事実〟を直視して生きていくことにした王の〝開き直り〟は、私は好きであり、美しいとすら思ってしまいます。

 

事実を直視して、開き直って生きていく。一見簡単なようですが、現代社会ではこれが出来ている人はきわめて少ないと感じます。

 

開き直ってはいるけれど、事実を直視できていない人。あるいは事実は見えているのだけれど、開き直りができず、自己を過大視/矮小視してしまい、そのようにふるまってしまう人。

 

願わくば私も王のように美しく生きたいと思う、今日このごろです。

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