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  • 執筆者の写真柏木

勉強は楽しい!

勉強は楽しいものです。

勉強の楽しさに、〝競争〟は必要ないと思います。

好奇心の赴くまま、とことん勉強してみる。私がやっているのは算数ですが、別に内容はなんだっていい。

夢中になってやってみるということに意味があるんだと思います。


先日、図書館で借りてきた本を読んでいました。

稲垣忠先生『デジタル社会の学びのかたち』北大路書房、2019年。


この本では、古典的な箱物としての学校から飛び出して、主にデジタルを介して、さまざまな場所で学びが行われることの可能性が示されています。


インターネット接続環境があれば、物理的には学びは無限に可能なはずです。また逆説的ですが、インターネット環境がない場合でも学びは工夫次第で可能なはずです(例えば図書館、コミュニティなど)。


学びの目的を考える。そして学んでいる最中は、目的を度外視して、とにかく過程そのものを楽しむ。


ここで言う学びとは、さまざまなシチュエーションが考えられると思います。名門大学で学ぶことも学びですし、生活の中でささやかに学ぶことももちろん学びです。

世間では前者のほうに無条件に価値が置かれているようですが、前者に重きを置くことに論理性はありません。


多様性の時代を迎えようとしています。個人差の激しいこの時代において、〝学び〟に優劣をつけること自体がナンセンスです。自らの意思で学ぼうとすること、それ自体が尊いものなのであって、学びの内容はバリエーションに過ぎないからです。


あえて誤解を恐れずに言えば、学ぶことは人間の〝本能〟であると言えます。


〝学校〟が嫌い(だった)人はたくさんいると思います。文部科学省の「令和3年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」という調査によれば、不登校は244,940人に上るとあります。

また教師による暴行事件や性的虐待といった種々のニュースが世間を騒がせたことも記憶に新しく、いじめ問題を教育委員会が隠蔽することもなじみのあるものとなっており、学校というものの存在意義自体が問われていると思います。


繰り返しますが、学びは人間の本能です。

〝学校〟が不要であるとまでは言いませんが、あまりに画一的な形態に固執し続けることはリスクが大きいと思います。ここで言う画一的な形態とは、教室にある程度の大人数を詰め込み、ひたすら講義形式の授業をメインとした教育方法を指します。


〝学ぶ〟ことが取り急ぎの目標なのであれば、多少柔軟になってもいいのではないでしょうか。


勉強は楽しい。しかし、学校でのネガティブな体験は勉強を嫌なものと条件付けする結果となってしまいます。

学校時代の記憶がトラウマとなって、勉強に二の足を踏んでいるのはもったいないこと。大人ならば、工夫次第でいくらでも自由に、楽しく学べるのですから。


あなたも勉強、してみませんか。






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